COMMENT

Nobuhiko Obayashi

大林宣彦(映画作家)

映画「まっ白の闇」讃!

劇映画とは、噓(ウソ)実(ホント)の狭間に眞(マコト)を紡ぎ出す仕掛け。從って本来実(ホント)の側に立つドキュメンタリィ的素材を劇で描くとは、冒険も冒険、いっそ危険ですらある。しかしこの映画の作者内谷正文さんはその冒険に挑戦し、しかも見事に成巧してみせた。それを称えるために、僕はここに拙文を紡ごうとしている。

映画にも薬物と同じように魔力がある。それはカタルシスなるものを調合してみせるから。カタルシス、即ち、悲劇を見て涙をながしたり恐怖を味わったりすることで心の中のしこりを浄化する(広辞苑)。つまり例えば反戦映画の筈が、戦意昂揚映画にも見えてしまうという、これは映画の危険な部分である。

この映画の中でも最初のうち主人公の少年が薬物の魅力の虜になってゆく過程では,薬物の恐怖を描くつもりが年若い観客たちは却ってその魔力に捕えられてしまうのでは、といささかの危惧も心を過ったが、彼を悪の道に誘う幻の女性がちっとも魅力的に描かれようとはしないという映画上の抑制によってカタルシスを醸造するなる危惧とも無縁の健全さを保つなど、演出は確固たるフィロソフィに支えられて揺ぎが無い。

一人体験劇として自らの体験を劇化して来た俳優、内谷正文さんの劇映画処女作である。薬物依存症の裏には必ず人がいると語り、それは人と人との関係から生じる現代病でこそあると。その彼の日常の仲間たちに混って、プロの俳優たちが嘘(ウソ)実(ホント)の狭間を行き来する。その緊迫感が心の眞(マコト)を紡いでゆく様は実(ホント)の側のドキュメントとは異質の、劇の功用だ。

例えばプロの中のプロたる客演の村田雄浩の演技は圧巻である。いつも通りの嘘(ウソ)の演技ではこの劇は崩壊するという怯えから、この映画内での彼はメイク・演技を含めてまるで実(ホント)の如き存在に変貌し切っていて驚かされる。つまり彼自身が薬物依存症患者のリアリティを具現化していて劇とドキュメンタリィが見事に拮抗している。演出力と演技することのある種の不条理が具現化した見事な人間業のひとつの奇跡でありましょう。

ここまで来れば果すべきことは総て果し終えた。主人公の少年の兄役であり、少年に薬物を与えるきっかけをも生んだ俳優さんが実はミュージカルのスターで、彼の明るいコミカルな台詞と仕草とによって、この「まっ白の闇」なる映画の劇は幕を降ろす。即ち、ハッピー・エンドである。一寸先は闇ではなく、一寸先は光であるのだ。

これは劇映画として珍しく、不思議な成巧を遂げた一作である。それはこの映画作りに関わった総ての人の確固たるフィロソフィの成果である。そのことを語り伝えるために僕は駄文を労したが、果してお役に立てたやらどうやら。

最後にこの映画を生んだ総ての方に、心より敬意と感謝を。映画はメイク・フィロソフィであってこそ、美しく賢いのです。

2018.1.31

itsuji itao

板尾創路(芸人)

最初はピンと来なかった『まっ白の闇』という言葉が、観終わった後はイメージ出来ている自分がいた、絶望的な映画では無く最後は人々の充実感が漂っていた。万人が観るべき映画だ!

koichi yazima

矢島弘一(脚本家・演出家)

この映画は何よりも熱量がある。
それは、監督だけじゃなく、役者、スタッフ、エキストラ、そして実際のロケ地にまで、息遣いが聞こえてくる。
それはきっと、皆が同じ方向へ向いてるから。
これからどんどん成長して、人様の前でさらけ出す事だろう。
その時は喜ぶ時でもあり、恥じる時でもある。
今後の進展が楽しみで仕方ない。